マイケル・サラ、ミッチ・ウェイス『タイガーフォース』

新宿の地下の古書店にて500円で投げ売りされていたが、ピュリッツァー賞受賞の帯につられて手に取った。

 

 

ベトナム戦争中のタイガー小隊による残虐行為、その全貌をわずかな端緒からたどって明るみに出した捜査官、そして事件隠ぺいの歴史を経て、隠匿された調書というバトンを受け取ったジャーナリスト。語られるべき出来事は、まだ世界のあちこちに秘められているのだろう。事実の命脈をつないだ良心とともに。

 

さて、タイガーフォース事件の核心はここだ。

元タイガーたちは、自分の言葉で、アプシーにすべてを語った。アプシーはそれを最終報告に書こうとしている。しかし、彼らが絶対に明かさなかったことがある。それは、彼らが恩寵から転落した理由だった。時折、彼らの不安と涙に、そのわけを垣間みることがあったが、 それ以上はわからなかった。彼らは、待ち伏せ攻撃、ブービー・トラップ、灼熱の太陽の間のどこかで、希望をなくした。しかし、彼らはそれを語らない。彼らは、夜の闇のどこかで、信仰をなくした。そして、終には悪魔の手におちた。

 現象や行為は語ることができる。語られうる。しかしその向こうにあるものは、表層の出来事の向こうに透かし見るほかない。あるいはその表徴を、影を、干渉を、読み解くしかない。村人に向けた銃の引き金を引かなった時と引いた時の違いを、だれが説明できるだろう。「太陽のせい」とはそういうことだ。

 

「語りえない」などという言葉は使い古され、いまさら不可知論などに与したくはない。現場に身を置くということは、それでもなお、不可知の何かに目を向けて、手を伸ばして、せめてその表層に触れるという行為だ。本当は作家の領分かもしれないが。

 

 

タイガーフォース

タイガーフォース