リチャード・ロイド・パリー『黒い迷宮』

買ったまま、なんとなく手を付けられずにいた本。2000年7月1日に東京で失踪したイギリス人ホステス、ルーシー・ブラックマンをめぐるノンフィクション。

とにかく、舌を巻くのは著者の取材力だ。家族、友人、六本木の夜の住人、過去の被害者、裁判資料…。ありとあらゆる情報を集め、話を聞いているという印象。ともすると情報過多だ。その過剰なまでの情報、事件の経過や前史を詳細にたどる中で浮かび上がってくるのは、事件そのものというよりも、事件が露わにしたその周辺の何事かだ。事件そのもの、あるいはその中心たる織原は、最後まで「穴」のままであるように見える。著者の取材力をもってしても届かない虚無として。

奇妙に印象的だったのは、クラブを経営する男がホステスの「采配」を解説するくだりだ。

「とにかく、よく観察することが大切だ」。ヘラジカの姿を追うベテラン猟師の笑みを浮かべながら、彼は続ける。「客の思考を見抜くんだ。トイレに行く途中で腕時計を確認したら、そろそろ帰ろうと考えている証拠だ。そんなときは、クラブ一の美人ホステスをあてがう。客がトイレから出てきたら、そのホステスが眼のまえで待ってるってわけさ。夢のホステスがね」。客がトイレのドアを閉めて出てくると、ホステスは熱いおしぼりを渡し、客の手を引いてテーブルに戻る。客はもう一杯だけ水割りを飲もうと店に残る。が、新しい女の子は一本三万円のシャンパンが飲みたいと言い出す。チクタク、チクタク。すぐに四時間目に突入。三時間と一分の滞在で、客は八万円近くを使ったことになる。そして、シャンパンを要求した夢の美女は、もう席にはいない。

なぜこうして書き出してみるまでに引っかかったのか。罠にはめられて手のひらで転がされてる客の滑稽さか、猟師たる男のディレクションの見事さなのか、それとも、おとぎ話めいた現実感のなさか。シャンパンを要求した夢の美女は、もう席にはいない。

こうして改めてよく見てみると、ちょっとした解説に過ぎないこのパラグラフは、この書物がたどり着いた何事かを縮約したパラグラフでもあるのかもしれない。東京の夜、あちこちの街で繰り広げられている儀礼たるおもてなし。街全体、夜全体を覆う虚構性。交わされる言葉ひとつ、身体の接触ひとつ、すべてがあらかじめフィクションであり、演者もそれを了解してもいる。

本来、人間を構成するはずの人間関係(人となり)を一切持たない織原の虚無は、この虚構と響きあう。女性ごとに異なる名前で接していることは、その一つの証左ともいえる。一方で、織原はこの虚構を可能にする約束事を破り、虚構を破壊してもいる。その瞬間、そこにはフィクションの支配者たる「ママ」や「マスター」のルールは及ばない。支配者の笑みを浮かべる「猟師」もまた、その技術は虚構の中において発揮されるそれに過ぎない。

最初に書いたように、著者はその圧倒的な取材力と情報量により、この事件を取り巻く状況のほとんどすべてを浮かび上がらせている。にもかかわらず、その中心にはぽっかりと穴があいたままだ。ただ、その穴を浮かび上がらせるためには、その周りをすべて埋めるほかなかったとも言えるし、それができたのは著者の力だろう。そして、最後に残ったのが穴、虚無であるということが確認できたときに、この書を読んできた道程を振り返ると、東京という巨大な街の虚構性、フィクション性が露わになっていることに気づくのだ。

 

 

黒い迷宮(下)──ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)

黒い迷宮(下)──ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)

 
黒い迷宮(上)──ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)

黒い迷宮(上)──ルーシー・ブラックマン事件の真実 (ハヤカワ文庫NF)